【Michaelの視点】AI投資ブームへの冷静な考察:CDMOはいかにしてJカーブを乗り越え、長期的かつ構造的な利益を実現するか

投資とリターンの矛盾:企業が『乗り遅れられない』レース

AIは今や、企業戦略と投資資本の双方において、最も注目される焦点となっています。製薬、金融、製造、そして小売に至るまで、あらゆる業界が生成AI、予測モデル、自動化システムの導入を積極的に進めています。この変革のスピードは凄まじく、過去20年間に起きたあらゆる技術革命をも凌駕する勢いです。
しかし、資金と人材が絶え間なく投入されているにもかかわらず、財務諸表(決算書)上でAIによる実質的なリターンを明確に確認できる企業は、依然として少数派にとどまっています。

MITスローン・マネジメント・レビューとボストン・コンサルティング・グループ(BCG)による2024年の調査によると、AIプロジェクトが『顕著な財務効果』を生み出したと回答した企業は、わずか11%に過ぎません。対照的に、7割以上の企業は依然として試行(パイロット)段階や部分的な導入段階に留まっています(MIT SMR & BCG, 2024)。
つまり、AIへの投資規模は拡大しているものの、その収益は未だ明確に数値化(定量化)されていないのです。

しかし、この現状が市場の熱気を冷ますことはありませんでした。それどころか、投資はさらに加速しています。Stanford HAI(2025)の『AI Index Report』によれば、2024年の世界のAI民間投資額は2,523億米ドルに達し、前年比で44.5%以上の成長を記録しました。企業のAI採用率も、前年の55%から78%へと急増しています。
たとえ短期的なリターンが不透明であっても、この潮流を傍観できる企業や投資機関は、ほぼ皆無と言ってよいでしょう。

この投資ブームの背後には、ある『意思決定のパラドックス』が潜んでいます。なぜAIは、短期的には利益を生まないにもかかわらず、あらゆる企業や投資家にとって『決して乗り遅れることのできない』戦略的主戦場となっているのでしょうか。

この現象を理解するためには、技術とリターンの間に横たわるギャップの本質を解き明かす、二つの理論的枠組みに立ち返る必要があります。すなわち、『生産性Jカーブ(Productivity J-Curve)』と『汎用技術投資サイクル(General Purpose Technology Investment Cycle)』です。

汎用技術の試練:生産性Jカーブの谷間と、長期的な複利効果

電力、コンピュータ、インターネット、そしてAIにいたるまで、汎用技術(GPT)の革命においては常に、初期投資家たちは共通の現象に直面してきました。それは、短期的には生産性が低下し、収益化が停滞するという現象です。しかし、技術の浸透と組織の再構築が進むにつれ、生産性と利益の曲線は、最終的に急激な上昇へと転じるのです。

これこそが、Erik Brynjolfsson、Rock、そして Syverson(2019)が提唱した『生産性Jカーブ』の本質です。新技術の導入初期には、プロセスの再構築、データガバナンス、組織学習といった巨額の『隠れたコスト』が伴い、短期的にはパフォーマンスを低下させます。しかし、技術とプロセスの統合が成熟すると、曲線は反転し、投資を遥かに上回る収益をもたらすのです。

AIは今、まさにこのJカーブの低谷に位置しています。企業は依然として、AIと人間の意思決定をいかに協調させるか、生成AI技術を通じて知的資産をいかに企業独自の言語モデルへと転換するか、そして AI agent 技術を用いて企業全体のAI活用アーキテクチャをいかに構築するかを模索している段階です。
言い換えれば、現在の投資は一見すると損失のように見えますが、その実態は将来の『組織的なAI転換』に向けた強固な基盤を築いている過程なのです。

歴史は繰り返す :

  • 半導体産業は1970年代から80年代にかけての初期の赤字期間を経て、製造プロセスの標準化と分業体制の成熟が進みました。その後、ムーアの法則に駆動される超額利益獲得期へと突入したのです。
  • インターネット産業は、2000年のバブル崩壊後にインフラと利用習慣が残されたことで、最終的に Google、Amazon、Facebook といった巨大企業を育むこととなりました。

AIが現在置かれている状況は、かつて電力やインターネットが誕生した黎明期そのものです。真の莫大な利益は、導入初期に現れるものではありません。技術が安定し、補完的な資産が成熟し、そしてエコシステムが健全に機能し、全面的に展開された後にこそ、その成果は一気に拡大するのです。

合理的な賭けからエコシステムの構築へ:製薬大手はなぜ『乗り遅れること』を恐れるのか

企業やベンチャーキャピタルは盲目的にブームを追っているわけではなく、合理的な戦略的賭けを行っているのです。Bowman と Hurry(1993)が『リアル・オプション理論(Real Options Theory)』の中で指摘したように、将来の不確実性が高く、かつ潜在的なリターンが極めて大きい場合、早期の投資は『入場券』を購入することと同義となります。
AIの潜在的な価値はあまりにも巨大であり、『投資を間違えるリスク』よりも『機会を逃すリスク』の方がはるかに大きいのです。このような心理状態は、バイオ・製薬業界において特に顕著に表れています。

McKinsey(2024)のレポートによると、世界の製薬企業の7割以上が、すでに研究開発(R&D)や製造プロセス管理の分野においてAIを導入しています。

  • Moderna は早くも2016年に、mRNA設計を支援するAIを導入しました。その結果、臨床前開発サイクルを約50%短縮させることに成功しています(Moderna, 2023)。
  • Insilico Medicine は、生成AIを活用して抗線維化薬を設計し、ターゲットの特定から臨床第1相試験の開始までを、わずか18ヶ月で完了させました。これは従来のプロセスに比べ、3分の1の期間という驚異的なスピードです。

これらの投資は、短期的には売上(収益)として現れにくいものの、AIモデルを核とした長期的な『競争優位の壁(参入障壁)』を構築しつつあります。同様のロジックは、資本市場の動向にも強く反映されています。2024年の世界におけるAI関連のベンチャーキャピタル投資額は1,091億米ドルに達し、そのうち生成AIへの投資は339億米ドルを占めました(Stanford HAI, 2025)。
a16z、Sequoia、SoftBank Vision Fund II といったトップクラスのファンドは、AI専用の資金枠(プール)を設立しています。彼らが賭けているのは、単一のモデルではなく、エコシステム全体の成熟です。AIによる創薬、製造プロセスのAI化からクラウド・コンピューティングのリソースに至るまで、その投資サイクルは7年から10年という長期に及びます。

MicrosoftのCEO、Satya Nadella はかつて、『この世代のAIは、あらゆるソフトウェアのカテゴリーと、あらゆる企業を再定義することになるだろう』と指摘しました。また、李開復(Kai-Fu Lee)はAIを『新たな電力』に例え、導入初期は高価で効果も見えにくいが、普及すればすべての産業が接続せざるを得ないインフラになると説いています。さらに、Jensen Huang(ジェンスン・フアン)は、『AIは単なる製品ではなく、現代の産業革命におけるエンジンである』と断言しました。

企業や投資家にとって、AIのもたらすリターンとは即時的な収益ではありません。それは、将来的な『構造的優位性』を確立することに他ならないのです。この戦いの勝敗は、いかに早く利益を上げるかではなく、いかにこの低谷(Jカーブの谷間)の時期に戦略的な布石を打ち終えられるかにかかっています。

創業者(ファウンダー)の視点:Jカーブを乗り越えるための臨界条件は、『補完的資産』と『知の融合』にある

AI投資の勝負は、いかに『低谷(ボトム)を耐え抜き、より深く統合できるか』にかかっています。ここで言う『知識』とは、『事業ドメインにおける世界の既存知と、企業固有の独自知』を指します。そして『知識と補完的資産の融合』とは、社内外の経験、データ、行動、文書を生成AIやディープラーニング技術によって企業専属の独自モデルへと再構築し、AI agent を通じてあらゆる現場に実装することで、すべてのビジネスアクションを加速させることを意味します。
Brynjolfsson(2019)の研究によれば、技術、プロセス、組織の三者が共振して初めて、生産性は非線形的な上昇を見せます。この低谷を乗り越えられる企業には、共通して次の2つの条件が備わっています。

  1. 補完的資産の統合能力:
    成功を収める企業は、データの収集・分析、モデル構築、知識の融合、専門人材の育成、そして品質管理を網羅するプラットフォームに対して、同期的な投資を行っています。AIを単なる付随的なツールとして扱うのではなく、プラットフォーム内に組み込む(embedded)ことで、業務プロセスの核へと据えているのです。
    これは、McKinsey(2024)の指摘とも合致しています。AIを主要なプロセスに統合できた企業は、単発の導入(ポイントソリューション)にとどまる企業に比べ、3.5倍もの生産性向上を実現しているのです。
  2. ナレッジ・インテグレーション(知識の統合):
    AIの価値は、組織の内外を横断するモデリング、学習、探索、そしてアプリケーションの構築から生まれます。Roche は、AI卓越センター(AI CoE)の設立と部門横断的なナレッジグラフ・プラットフォームの構築を通じて、研究開発データを意思決定のインテリジェンスへと転換し、初期臨床段階の効率を40%向上させました。
    企業が暗黙知(tacit knowledge)を形式知化し、共有可能なデータ構造へと転換することができれば、『パイロットの罠(試行錯誤の停滞)』を打破することが可能になります。

AI投資の成否を分けるのは、『いかに速く走るか』ではなく、『いかに深く統合するか』にあります。成功を収める企業は、技術とデジタルデータを知識体系(ナレッジ体系)に基づいて調整し、企業専用の言語モデルへと昇華させ、さらに実験データやプロセスをディープラーニングモデルへと転換させています。こうした企業こそが、生産性Jカーブの低谷をいち早く脱出し、飛躍を遂げることになるのです。

結論:AI転換は長期的な挑戦であり、CDMOの『知識能力』と『収益構造』を再定義するものである

AI投資の潮流は、すでに技術志向から『組織および産業構造の再構築』へとシフトしています。現在の『高投資・低リターン』のフェーズは、まさに汎用技術(GPT)の発展過程における最も重要な『醸成期(じょうせいき)』に他なりません。
企業にとっての真の課題は、いかに即効性を求めるかではなく、価値を継続的に創出し続ける『知識のエコシステム』をいかに構築できるかにあるのです。

製薬CDMOにとって、AIは単なるアルゴリズムや計算リソース、あるいは自動化への投資ではありません。それは『知識』と『インテリジェント・ファーマ(知能化製薬)』を巡るイノベーションそのものです。また、投資家にとっても、AIはもはや一時的なトレンドではなく、長期的な収益構造の変革を意味します。
李開復(Kai-Fu Lee)や Jensen Huang(ジェンスン・フアン)が指摘した通り、『AIは原動力(モーメンタム)であり、エンジン』なのです。

したがって、AI転換とは単なるテクノロジーの標語(スローガン)ではなく、イノベーションを通じて収益性を再構築するための、長期的なアクションプランなのです。この低谷にあっても、知識という核となる優位性を築き続けることに邁進した企業や投資家だけが、生産性Jカーブの谷間を突き抜け、その先に待つイノベーションが生み出す『長期的な複利の果実』を手にすることができるのです。

参考文献 (References)

  • Bowman, E. H., & Hurry, D. (1993). Strategy through the option lens: An integrated view of resource investments and the incremental-choice process. Academy of Management Review, 18(4), 760–782.

  • Brynjolfsson, E., Rock, D., & Syverson, C. (2019). The productivity J-curve: How intangibles complement general purpose technologies. American Economic Journal: Macroeconomics, 11(1), 333–372.

  • Huang, J. (2024). NVIDIA GTC keynote: The industrial revolution of AI. NVIDIA Corporation.

  • Li, K. F. (2023). AI 2041: Ten Visions for Our Future. CITIC Press Group. [李開復 (2023)。《AI 2041:預見未來二十年》。北京:中信出版社。]

  • McKinsey & Company. (2024). The state of AI in 2024: GenAI adoption accelerates. McKinsey Global Institute.

  • MIT Sloan Management Review & Boston Consulting Group. (2024). Achieving individual and organizational value with AI.

  • Moderna. (2023). Annual report 2023. Moderna Inc.

  • Nadella, S. (2023). Microsoft annual shareholders letter. Microsoft Corporation.

  • Stanford Institute for Human-Centered Artificial Intelligence. (2025). AI Index Report 2025. Stanford University.

  • World Economic Forum. (2024). AI governance frameworks for industry adoption.


Michael Han

therapiAI の創業者として、私 Michael は常に製薬テクノロジーの最前線を見つめています。今後、本コラムを通じて、グローバルなADC(抗体薬物複合体)市場の動向、CDMOのDX(デジタルトランスフォーメーション)トレンド、そしてバイオテクノロジー分野におけるAIの深い洞察を定期的にお届けしていく予定です。
第一線の業界知見と、技術をいかに実装するかという実務的思考に触れ、私たちと共に医療イノベーションの未来を先取りしていきましょう。これからの発信に、ぜひご期待ください。

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